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2012年10月28日 (日)

イース セルセタの樹海(10)

もはやプレイ日記でもなんでもありませんが、セルセタの樹海について。
今回は、登場したキャラクターのことを思いつくままに書いていきます。


○アドル
・年齢
今回も、旧イース4と同じくアドルは18歳です。エステリアの冒険からどのくらい経ったのかは明言されていませんが、設定的には、SFC版と同様の「半年後」と考えると無難でしょうか。
(16歳で旅に出て1年半後の冒険がイース1・2。)

・旅の始まる前
記憶の欠片で見ることのできる回想によれば、やはり旧イース4と同じくドギ、フレアといっしょにプロマロックの港へ来ていたようです。
そして早々と「セルセタの原種」を見つけてフレアがエステリアへ帰ることになり、ドギは彼を送っていくことにした。
このためにひとりになったアドルが、セルセタ地方へ向かった・・・ということのようですね。

・デザイン
過去にないラフな雰囲気はかっこいいですね。イース1~6はぶっちゃけほとんど同じデザインでしたが、SEVENで初めてアドルのデザインを大きく変えてきました。このことはとても重要で、セルセタでも新しいデザインが試みられたこと、「鎧姿」のイメージも変えてきたことは面白いと思いました。
なお、「イース 太陽の仮面」(コミック版)では、多くの場面で鎧なしのアドルを見ることができます。(服装は、伝統の赤いタートルネック)
もしかしたら「セルセタ」でも意識していたのかも?

・セリフ
よく誤解されている方がいますが、本来、アドルはしゃべるキャラクターです。
奇しくも、「アドルはプレイヤー自身だからしゃべらない」というワケのわからないこと※を言い出したのは、PCエンジン版イース4が最初でした。
その後ファルコムが作った「エターナル」でも本来あったセリフがカットされてましたし、リリース順が前後しますが「5」や「6」もアドルのセリフはありませんでしたが、SEVENから少し変化しまして、選択肢がセリフ状になってるのですよね。
「プレイヤーに想像してほしいからセリフなし」「普通にしゃべるキャラクターとして描く」の良いとこ取りで、これまた良い工夫だと思います。SEVENよりひょうきんな感じに見えるのも楽しいですね。シリューちゃんのクエストで反射的に「燃えた」を選んだ人は結構多いはずw

※だってプレイヤー自身というには、彼は設定がしっかりしすぎているのです。名前だって変えられないし。だからこそ、プレイヤーはアドルを「演じる」、ロールプレイするという意識を持つことができるのではないか?と思います。「RPGは役割を演じるゲームだから、お仕着せのキャラクターは嫌だ」という主張は日本のRPGを語る上でかなり出てくる、昔からある主張ですが、実は間違いなのです。
本場でのTRPGにはプリロールキャラという概念が有り、ゲームマスターあるいはライターがシナリオに沿ってつくったキャラクターをプレイヤーが「その人物ならどう話すか」「どう行動するか」を考えながら文字通り「演じる」ことは、RPG本来の、当たり前のスタイルの一つです。

・冒険日誌
アドルの冒険日誌は、もともとの設定で言うと冒険中に書かれたものではありません。
この設定は「エターナル」の時も健在で、マニュアルの小説で「50を過ぎて故郷の村に帰り、そこで冒険日誌を執筆した」ことが明言されていました。ただ、最近のRPGにはよく見られるストーリーのログ機能としても「冒険日誌」の設定はうってつけですので、イース2エターナルのころには冒険日誌の機能が実装されていました。
なので、「セルセタをはじめ、冒険中に書き留めた膨大な日誌」(メモ魔w)を彼はどこかに保管していて、晩年にはそれらを元に後世に伝わった「冒険日誌」が書かれたのでしょう。

アドルが(架空の)「歴史上の人物」であること、冒険日誌が残されたこと、それらを元にした物語が世界中で親しまれていること、といったメタ設定はイースシリーズの最大の特徴ともいうべきもので、今回の「セルセタ」がOPやEDでこの設定を前面に出してきていることは、シリーズ未経験者向けタイトルという側面を考えても非常によい決断だったと思います。

・冒険家という称号
しかし、「冒険家」という称号をエルディールからもらったので名乗るようになった・・・・というオチは、プロローグで言及されている以上本作の肝ではあるのですが、いただけません。
そもそも、「冒険家」というのは我々の感覚に照らしてあまりに一般的な言葉です。過去のイースシリーズを振り返ると、ゲーム中でアドルが「冒険家」と明言されたのはイース3でのこと。

「アドルはただの旅人じゃない。冒険家なんだ。」(ドギ)

今回「セルセタ」では「アドルがいつ冒険家と名乗るようになったか」が描かれましたが、これはシリーズの中でいうと「自然にそう呼ばれるようになった」ものであり、アドルが自ら名乗った、という印象はありません。
むしろ3でのドギのセリフなどは「自然に呼ばれるようになった」ことを89年の作品ですでに描写していたように感じ、今回の設定が蛇足に思えてきます。

整理しますと、1・2では「剣士」と呼ばれるのみ。3で「冒険家」と呼ばれ、5ではなんだか有名人っぽい描写があり、6では「赤毛のアドル」として知られています。
確かに4は隙間ではあるのですが、個人的には「自ら冒険家と名乗るアドル」はいまいちだなあ、と感じます。彼なら「旅人です」なのかな、と。

・現地妻
いやあ、「アドル」って検索すると候補ですでに「現地妻」って出てくるんですねえw ワラタw
イース4のヒロインはPCeやスーファミではリリアっぽくて、PS2ではカーナでした。今回はきっとリーザなのですが、アドルと恋愛関係が出来上がるような雰囲気とはちょっと違う気がしますね。
個人的にはグリゼルダさん一押しです。いいじゃん、年上の女性との経験。18歳の若者には激しい刺激でっせ?
ただ、彼女は実はやんごとなきご身分であることが明かされましたので(今後の作品に出てくる?)難しいだろうけど。
アドルと一番自然にくっつけられそうなのは、今回はカーナでしょうね。PS2版の影響だろうか。(たぶん違う。)

・記憶喪失
やっと、今回最大の特徴にたどり着きました。
また長文化してるので、今日はアドルのことだけ描きます。

記憶喪失というアイデア、これは一石三鳥くらいの素晴らしい発想だと思います。「セルセタ」のストーリー自体は不満も多いのですが、コンセプトを考えると実はかなりいい線行ってる。
アドルを記憶喪失にすることで、次のような効果がえられていると思います。

(1)シリーズ未経験者(または、経験者だが最近のファン)にアドルの基本設定を伝える
(2)シリーズ経験者にとっては記憶喪失自体が意外な展開で、「セルセタ」の物語への興味がかきたてられる。
(3)「セルセタ」の物語上の目的を与え、物語の伏線をたくさん張れる。

特に(1)が大きくて、OPやEDで「冒険家アドル」の設定が強調されることとあわせて、「イースシリーズの新しい出発点にしよう」という強い意気込みを感じます。このシリーズは実際のところ、5でも6でも※仕切り直しを試みているのですが、この「セルセタ」が一番成功していると思います。

※5は単独で成立するストーリーとすることで旧作の知識が要らない環境。かつ、探索・収集と古代文明の復活、消滅というフォーマットはイース1・2と共通で、シリーズの基本を体験出来るよう意図されている。
イース6は1~5の設定を有翼人の文明に統合しようと試みた(が、個人的には失敗していると思う)。
7もたぶん5と近いコンセプトが根底にあって、舞台がアフロカであるという共通点や、5の原案にあったアドルの武器変更システムが、ボタン一つでメンバーを変えられるパーティプレイという形になって復活してるなどのポイントが有る。
ただ5~7は「アドルがどういう人物なのか」「イースシリーズの基本的な設定」などはあまり描写されていなくて、そういうところまで視野を広げ、かつ、これまでにない上手な方法で描いた「セルセタ」の記憶喪失アイデアには嘆息するばかり。考えた人えらい!!すごい!!

マジで長いのでほんとにアドルのことだけになっちゃった。

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