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2012年12月28日 (金)

ガガーブトリロジーについて考える その2

リメイク版じゃなくてオリジナル版の「朱紅い雫」が「白き魔女の続編」なのにはそれなりに理由があるんだよー!と訴えたいがための記事2回目です。

前回は、「朱紅い雫は白き魔女の対極として作られている」という持論に則り、アヴィンとジュリオという両作品の主人公がどのように対比されているか、を振り返りました。
もちろん主人公ズは好対照をなしているだけではなく、同一性も描かれています。
対比に比べれば根拠が弱くなってしまいますが、アヴィンはきっと、本当ならジュリオのように明るく朗らかな少年に育っていったのでしょう。(希望を感じさせる子供だった、というガウェインの言葉は前作を踏まえると、そのような意味に解釈できる。)

今回の前段としてアヴィンの人物像を見直してみます。

アヴィンというキャラクターはリメイク版においては単純な「熱血漢」というイメージが全面に出されていました。
これは成功していて、とても素直に感情移入の出来る優れた主人公像だったのですが、オリジナル版である98版のアヴィンはもう少し複雑です。
本質的には正義感が強くて思いやりがある熱血漢なのですが、肝となるのは前回も触れたアヴィンの生い立ち、成長過程。
幼い日にかけがえのない両親を喪失し、妹と別れるつらい決心をした彼は焦燥感、不安、孤独、そういったものを抱えて成長します。結果として、熱血漢という本質はややクール目な、斜に構えた、ひねくれた、諦観的(というかマイナス思考)な人物という印象をまとってしまっているのです。

彼がその本質を見せる相手は基本的にマイルかアイメル、だけでした。

○システムとゲームバランスにおける対比

白き魔女と朱紅い雫はシリーズ作品として「対比」「対極」を意図して作られている。繰り返しているとおりです。
これは主人公だけでなく物語やシステム、世界観、そしてゲームバランスにも言えることで、注意してみてみると面白いほど対照的で、かつ、そのことがストーリーや設定にもマッチしており非常によく練られていると思います。

例えば。

「白き魔女」でのジュリオたちの旅はどういったものだったでしょう。
巡礼の旅、成人の儀式、というイメージは置いといて、もっと端的に。
「銀の短剣」ってありますよね。巡礼者の証であり、これをもっていると関所はフリーパス、宿代もすべてタダ、というものです。

「朱紅い雫」にはこんなものはありません。
特に序盤でのお金の稼ぎにくさが批判されたものですが、これにはもちろん意図があるのです。
(全体的に「朱紅い雫」は難しめ・不自由・不親切な作りだが、それらはすべて意図的な=白き魔女の対極としてデザインされたものです。このことに当時言及していたのはコンプティークのレビュアーさん。えらい!)

・お金がかからない旅 : 路銀を稼がなくてはどーにもならない旅

この比較を考えてみましょう。

ジュリオたちは、「あせらずに自分のペースで旅をすればよいのだよ」と送り出されました。
フリーパスである銀の短剣もありますからね。宿屋に至ってはイベントの舞台になることはあっても、システム的には回復場所としての機能すらありません。

「朱紅い雫」での宿屋はこれと対照的です。
白き魔女と違って戦闘終了後に全回復、なんていう親切仕様ではありませんから、必ずどこかのタイミングで泊まる必要がある。しかし泊まるにはもちろんお金が必要。特に序盤では宿代を捻出することすらたいへんで、しかもセーブは宿屋でする。(宿屋またはテントでしかセーブできない)

「朱紅い雫」でアヴィンの旅には明確な目的がありました。つまり「妹との再会」です。行方がわからなくなっている、妹アイメルを探す旅ですから、ジュリオの旅と違って「目的」はあっても「目的地」がありません。
しかし、「自分のペースで」進めればよい巡礼の旅と異なり、邪宗教徒に狙われながらの旅です。実のところ時間的な余裕はない上に、経済的にも余裕がない。しかし路銀を稼がねば「旅を続けること」すら出来ない(=セーブしてから「続きをやる」ことすらできない)。一刻も早く妹を探し出したい、再会したいのに、アヴィンは旅を続けながら仕事を請け負い、生きるための糧を稼がなければならない!
この厳しさ。ジレンマ。これを体験させることが、朱紅い雫のゲームデザインの出発点だと思います。

宿屋でしかセーブできない、って、当時だって十分に前時代的で、信じられないほど不親切なシステムでした。
しかし上記のように考えると、シリーズものとしての構成意図、物語上の理由、演出の理由など、いろいろな理由であえて不親切なシステムになっているのです。

白き魔女は・・・・・
「親切」で「優しい」システムです。
朱紅い雫は・・・・・
「不親切」で「厳しい」システムです。
しかし、どっちも同じシリーズです。

システムとゲームバランスについては、このように整理することが出来ると思います。
勘ぐってみれば、朱紅い雫の厳しさというのは「白き魔女」の20年前にゲルドが旅したときに経験した厳しさをプレイヤーにも感じてもらう、という意図もあったのかもしれません。

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