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2013年1月 4日 (金)

ガガーブトリロジーを考える その3

あけましておめでとうございます。

EGGで遊んでいる英雄伝説3は現在、第四章の途中まで進めることができました。
ここはゲーム全体のちょうど真ん中にあたり、かつ、そもそもの目的である巡礼の目的地でもあり、巡礼が終わったあとは帰り道ということになります。

その上、ジュリオが(旅立ち前のイノシシ退治を除けば)初めて一人で旅をしたり、最後の魔法の鏡を見ることでストーリー後半へ向けて世界を巻き込んで進行している陰謀が見え隠れし始める重大な章でもあり、こういうのがちょうど真ん中に配置されてる、というのはとてもきれいな構成ですね。

また、上記のとおり巡礼の目的地がオルドスであり、さらに道中で呪いをかけられてしまったクリス(とグース)を助けるための希望はとにかくオルドスに着くことであり、そんなオルドスという土地で、BGMには主人公の故郷の村と同じ
フレーズが使われています。ようやくたどり着いた安堵感を、故郷の曲のフレーズで演出する。
これは本当に素晴らしいです。白き魔女は画面を見てると本当に地味なゲームなのですが、演出のレベルは今でも最高峰だと思います。


そんな導入部とはあまり関係なく、今回は、白き魔女と朱紅い雫に共通するシステム上のテーマについて考えていることを書いていきます。

前回までで、
(1)一件関連性が薄いように見える朱紅い雫は、実は白き魔女の続編としてよく計算された物語である。
(2)ゲームシステムやバランスがキツイことがよく指摘される朱紅い雫だが、そのキツさには意味があり、一例として「お金」の事情を取り上げる。

といったことをぐだぐだと書いてきました。
今回は(2)の続きで、アヴィンの旅がいかにキツいかの思い出語りでもよかったのですが・・・・多くの方がプレイすればわかることでもあり、また後でもいっか、と思いました。

今回取り上げたいのは、この二作に共通しておりそして恐らくは「ガガーブ三部作」の大テーマであったと思われるシステム上の共通点です。

結論から言いましょう。それは「ストーリーを最大限演出するためのゲームシステムを作る」ことです。

○「物語る」ゲームのかたち
白き魔女の発売当時に付けられた有名なキャッチコピーを覚えている方は多いと思います。

「詩うRPG」

詩情あふれるやさしい世界観、感動的なストーリーを見事に表した名コピーです。ところで、朱紅い雫も実は、発売直前までは同じような路線だと思われていたようです。
例えばファルコムスペシャルBOX96には朱紅い雫の曲が2曲だけ先行収録されていますが(山道、平地ということで、のちの「希望へ続く道」「足取り軽く」の二曲)ライナーノーツにおいて「詩うRPG第2段『朱紅い雫』」という記載もあるんです。

で、実際発売された朱紅い雫はいろんな意味で「なんじゃこりゃ」という感じで阿鼻叫喚の地獄絵図になったわけですね(笑)
ただ、アヴィンがエンディングで「俺たちは血の汗を流しながらここまで旅をしてきた」と語ったとき、まさにゲームバランスと難易度に血の汗を流す思いで攻略してきたプレイヤーの多くが一種の感動を味わったことでしょう。

朱紅い雫が、「詩う」RPGだったかどうかはともかく「物語る」RPGであることはこのシーンが証明しています。
つまり、祝福された旅、どこに行っても助けてもらえる旅でもあったジュリオやクリスの巡礼の旅とは違いアヴィンの旅は一言で言えば苦難の連続です。
朱紅い雫は経済的な苦難、追われる苦難、奪われる苦難、失う苦難、強大な敵に立ち向かう苦難、などなど、さまざまな苦難労苦に立ち向かい、時に挫折し(アヴィンが挫折するシーンがあるだけでなく、多くのプレイヤーも挫折したことだろうw)ながら再起していく物語でした。
その苦難をまさにプレイヤー自身が(ある意味)味わうことになるためにはどうすればいいか?
ということが、朱紅い雫のゲームデザインとなりあのゲームバランスを生んだのだと考えています。

そう考えると、朱紅い雫と白き魔女とには大きな共通点がある。
それがつまり、「(その物語を、効果的に)物語るためのゲームシステム」であり、そういうゲームデザインを実現することこそが、ガガーブ三部作のシステム面での大テーマだったのではないでしょうか。

ただまあ、ウケが悪かったので海の檻歌もリメイク版朱紅い雫も(好きな方々には悪いですが)「劣化白き魔女」になってしまったのだとすれば、「そんなにウケが悪かったのかなあ」と悲しくなってしまいます。
僕は当時から、朱紅い雫めっちゃ大好きでしたからね。。。。。

毒を吐きます。

幼少期からあらゆるものを奪われ、絶望し、孤独を味わいながらその脱出口を求めてもがき続け、ついに旅立った矢先に狙われるようになり、親友を失い、再会できた妹も失い絶望の底を味わったアヴィンが、そんなアヴィンが恩人の名前から「エスペランサー」を名づけミッシェルに託す。
だからこそ、費えた希望がやがて新しくうまれ、そして希望が受け継がれることを表現でき、シリーズの中で輝く意味性を持たせることができる。

この構図の美しさ。

これこそが「朱紅い雫」と「白き魔女」のつながりの最たるものであり、この美しさを読み取れていないとしか思えないWindows版の脚本(というか脚本家)には今でも納得できないのです。

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コメント

大分昔の記事ですが読ませていただきました

私はwin版しかプレイしたことがないのですが、言われてみればあんだけシスコンなアヴィンが妹と生き別れになった割には、明るく育ちすぎにも思えますね

三部作ではなく、単体としての受けに走ってしまったんじゃないかなぁ。win版三部作で、単体のゲームとして一番良くできてると思うのは、確かに朱ですし

エスペランサーのことも、あの形の方が「そうだったのか!」っていうインパクトはありますしね
インパクトだけで、三部作通した脚本としてはどうなのかと思わされたわけですが……

投稿: | 2016年12月28日 (水) 17時26分

コメントありがとうございます。
僕はどうにも、Win版より98版のシナリオのほうが単純に優れていると思っていて、それを覆すだけの魅力をWin版に感じないのです。

なぜだろう?

ということを考えたときの一つの答えが、記事にした3部作としての繋がり方でした。

変な言い方ですが、98版の方がわざとらしくない繋がり方で好きなんですよね。

投稿: がっでむ | 2017年1月 8日 (日) 22時49分

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